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仙台高等裁判所 昭和23年(ナ)3号 判決

原告

安住重郞

被告

宮城縣選挙管理委員会

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

請求の趣旨

被告が原告からの訴願について昭和二十二年十二月一日した裁決はこれを取消す、宮城縣牡鹿郡大原村選挙管理委員会が昭和二十二年五月十一日した裁決は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は昭和二十二年四月三十日施行の宮城縣牡鹿郡大原村会議員選挙に立候補し当選した者であるが、右選挙に立候補した訴外吉野兵吉において、同年五月三日大原村選挙管理委員会に対し原告が大原村に住所を有せず從つて右選挙において選挙権及び被選挙権を有しない者であることを理由として原告の当選の效力に関する異議の申立をした結果、同年五月十七日に至り原告は右異議申立を理由ありとし原告の当選を無效とする旨の同年五月十一日附大原村選挙管理委員会委員長幸野文〓名義の決定書の送達を受けた。けれども大原村選挙管理委員会は同年五月十一日には右吉野兵吉の異議申立について何等決定をするに至らなかつたのであつて、右決定書は大原村書記阿部庄松が擅にこれを僞造して原告に送達したものである。よつて原告は同年五月二十日宮城縣選挙管理委員会に訴願したところ、同委員会は同年十二月一日漫然原告の訴願を理由なしとして排斥する旨の裁決をし、原告は同月十八日右議決書の送達を受けたのである。

しかしながら右裁決は左の事由により不当である。即ち、大原村選挙管理委員会は右の通り昭和二十二年五月十一日には前記異議申立について事実上決定をするに至らなかつたのであるから、右委員会において決定書の作成を委員会書記久〓武一を介し阿部庄松に依賴した事実はない。(右委員会は同年五月三十日に至り初めて決定をしたかその内容は不明であり原告はその決定書の送達も受けていない)。前記五月十一日附の決定書は阿部庄松が擅にこれを僞造して原告に送達したものであつて無效なものである。しかるに宮城縣選挙管理委員会はこれらの事実及び經過を調査することなく漫然大原村選挙管理委員会が前記訴願についてした辯明を鵜呑にして前記原告の訴願を理由なしとして排斥する旨の裁決をしたのであるから、右裁決は不当である。仮に大原村選挙管理委員会が同年五月十一日前記のように原告の当選を無效とする旨の決定をしたものであるとしても、右決定は地方自治法第百八十九條第百九十條の規定は違背する当然無效なものであるから宮城縣選挙管理委員会の前記裁決はまた不当に歸する。よつて原告は右裁決の取消及び右大原村選挙管理委員会が同年五月十一日した決定の無效確認を求めるため本訴を提起した次第である。なお本訴においては原告の選挙権及び被選挙権の有無に関する實質上の点を主張するものではない。」

原告訴訟代理人は以上のように陳述した。

被告訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、答弁として次の通り述べた。

「原告が昭和二十二年四月三十日施行の宮城縣牡鹿郡大原村會議員選挙に立候補し当選した者であること、右選挙に立候補した訴外吉野兵吉において同年五月三日大原村選挙管理委員会に対し原告が大原村に住所を有せず從つて右選挙において選挙権及び被選挙権を有しない者であることを理由として原告の当選の效力に関する異議の申立をしたこと、原告が同年五月十七日右異議申立を理由ありとし原告の当選を無效とする旨の同年五月十一日附大原村選挙管理委員会委員長幸野文〓名義の決定書の送達を受けたこと、原告が同年五月二十日宮城縣選挙管理委員会に訴願したところ右委員会は同年十二月一日原告の訴願を理由なしとして排斥する旨の裁決をし原告において同月十八日右裁決書の送達を受けたことは、いずれもこれを認めるが、原告が右裁決を不当とする事由は否認する。

大原村選挙管理委員会は昭和二十二年五月十一日前記吉野兵吉の異議申立を理由あるものとして原告の当選を無效とする旨の決定をしたものである。即ち当日右委員会に出席した委員長幸野文〓及び委員安藤長七の陳述(乙第一號証)、委員石森久治郞の陳述(乙第三號証)、委員会書記久〓武一の陳述(乙第二號証)、並びに委員龜山政之助が同年五月三十日右委員会において原告の訴願に対する弁明書(乙第四號証)を作成した際における会議録に署名捺印している事実を綜合判断すると、前記五月十一日の右委員会において委員長の採決に多少明確を欠いた点があつたとしても結局右委員会は原告の当選を無效とする旨決定したものと断じなければならないのである。なお右訴願の実質的な爭点は原告が大原村に住所を有するかどうかであるがその住所ありと認めることができず從つて原告の訴願は排除せざるを得ないものである。よつて原告の本訴請求は失當である。」

被告代理人は以上のように陳述した。

証拠として、原告訴訟代理人は証人石森久治郞、石森利吉、久〓武一、安藤茂吉の各証言及び原告本人訊問の結果を援用し乙各号証の成立を認め、同第三、四号証を援用し、被告代理人は乙第一乃至第四号証を提出し証人安藤長七、阿部庄松、久〓武一及び当裁判所が職権をもつて訊問した証人幸野文〓の各証言を援用した。

理由

原告が昭和二十二年四月三十日施行の宮城縣牡鹿郡大原村会議員選挙に立候補し当選した者であること、右選挙に立候補した訴外吉野兵吉において同年五月三日大原村選挙管理委員会に対し原告が大原村に住所を有せず從つて右選挙において選挙権及び被選挙権を有しない者であることを理由として原告の当選の效力に関する異議の申立をしたこと、原告が同年五月十七日右異議申立を理由ありとして原告の当選を無效とする旨の同年五月十一日附大原村選挙管理委員会委員長幸野文〓名義の決定書の送達を受けたこと、原告が同年五月二十日宮城縣選挙管理委員会に訴願したところ右委員会は同年十二月一日原告の訴願を理由なしとして排斥する旨の裁決をし原告において同月十八日右裁決書の速達を受けたことは、いずれも当事者間に爭がない。

原告は、大原村選挙管理委員会は昭和二十二年五月十一日には事実上決定をするに至らなかつたものである旨主張するから、審案するに、成立に爭のない乙第一、二号証、第四号証、証人幸野文〓、安藤長七、久〓武一、阿部庄松の各証言、証人石森久治郞及び原告本人の各供述の一部を綜合すると、

一、大原村選挙管理委員会は、昭和二十二年五月十一日、前記吉野兵吉から申立てた原告の当選の效力に関する異議について審議するため、大原村役場において、委員長幸野文〓、委員安藤長七、石森久治郞及び龜山政之助の全員出席の下に開かれたが、右大原村書記で委員会書記を兼務する久〓武一及び同村書記で事実上委員会の事務を手傳つていた阿部庄松もこれに出席したこと、

一、右会議においては先ず委員長幸野文〓において異議申立の内容を説明した後阿部庄松をして法規上の取扱その他について説明させたが、右委員長等はかねてから原告と知合でありまたさきに原告が大原村の衆議院議員選挙名簿に登録されていなかつたのに対し異議の申立をした際、右委員会において右異議を理由ありと認め選挙人名簿に登録した関係もあつたので、委員長幸野文〓は「原告の当選を有效と認めることができないものだろうか」との旨発言し、これに対し委員石森久治郞は「吉野兵吉の異議申立は眞実と考えられるから原告の当選を無效としたらよいではないか」との旨発言したが他の委員等は「困つた困つた」というばかりで何等の発言もしなかつたこと、

一、けれども右委員会の席上における阿部庄松の説明によつて、原告は昭和二十一年十月十日現在調製の大原村における衆議員議員選挙人名簿に登録されたのであるが、当時既に大原村に住所を有せず從つて右名簿に登録すべきでなかつたのは勿論大原村会議員選挙の選挙権及び被選挙権を有しないものであること、即ち原告は昭和十年頃から牡鹿郡鮎川町阿部三郞兵衞方に住込就職中であり家族は昭和二十年四月十七日石卷市内に轉任したもので大原村に本籍はあつても同所その他村内に生活の本拠を有せず、また原告及びその家族は昭和二十一年四月以降村内において食糧その他生活必需物資の配給を受けず且昭和二十年度以降村民税の賦課を受けていないことが明となり、委員等も吉野兵吉の異議を容れ原告の当選を無效と決定せざるを得ないことを十分承知するに至つたので、一人も反対意見を述べるものなく、積極的に発言しなくても全員前記石森久治郞の意見に一致したものと看取し得られたこと、そこで委員長幸野文〓は前記吉野兵吉の異議申立に対して右の通り決定されたものとして右委員会における審議を終つたこと、

が認められる。証人石森久治郞及び原告本人の供述中右認定に反する部分、成立に爭のない乙第三号証の記載中右認定に抵觸する部分はいずれも採用することができない。又証人石森利吉及び安藤茂吉の各証言によつては、未だ右認定を動かすに足りない。

元來委員会の議事は情実に捉われず公正な立場で審議し出席委員の過半数をもつて、若し可否同数のときは委員長の決するところに從つて決しなければならないことはいうまでもないのであるが、本件について見るに前記認定事実に徴すると大原村選挙管理委員会は昭和二十二年五月十一日原告の当選の效力に関する異議申立を審議するに当り以前に原告から衆議員議員選挙人名簿に原告の氏名が登録されていないことにつき異議申立があつた際、同委員会がこの異議を理由あるものとして右名簿に原告の氏名を登録すべきものと決定したことと、右吉野兵吉の異議を容れ原告の当選を無效と決定することとは矛盾するために、委員長始め委員達もできれば原告の当選をそのまま維持することを内心希望しており、且原告に対する同情の念も禁じ得なかつたのと委員長及び委員等が法規に精しくなかつたことなどのためその決定の仕方に多少明確を欠くもののあつたことは爭われない。しかしながら右委員会は同日阿部庄松の説明を聽取した結果出席委員等において右説明の通り異議申立が理由あるものであつて法規上原告の当選を無效と決定するのほかないものと考え、そのように決したものであることは疑を容れないところであつて、結局右委員会は同日全員一致をもつて右の決定をしたものであることを窺うに足りるのである。そして同日附大原村選挙管理委員会委員長幸野文〓名義の決定書が原告に送達されたことは当事者間に爭なく、右決定書が前記認定のような理由を附して作成されたものであることは前記乙第一号証、証人幸野文〓及び久〓武一の各證言を綜合してこれを認めるに十分である。

原告は、右決定書は阿部庄松において擅に作成し送達したものである旨主張するけれども、大原村選挙管理委員会において昭和二十二年五月十一日原告の当選を無效とすることに決したことは前記認定の通りであつて、前記乙第一号証、第四号証、証人幸野文〓、安藤長七、久〓武一、阿部庄松の各証言及び証人石森久治郞の証言の一部を綜合すると、

一、大原村選挙管理委員会は昭和二十二年五月十一日前記のように原告の当選を無效とすることに決した際、阿部庄松から右決定については決定書を作成しなければならない旨の説明を受けたので、委員長幸野文〓は委員会書記久〓武一に対し決定の趣旨に從い決定書を作成すべきことを命じたこと、

一、右久〓武一は更に決定書の草稿作成方を阿部庄松に依賴し、その草稿によつて同年五月十六日前記委員長の依命の趣旨に從い委員長幸野文〓名義の前記決定書を作成した上、かねて幸野文〓から使用を許されていた委員長印を押捺してこれを原告に送達したこと、なお委員会備附の分については委員長幸野文〓においてその頃自ら右印を押捺したこと、

一、その後原告は右決定を不服として宮城縣選挙管理委員会に訴願したので、大原村選挙管理委員会は右訴願に対する弁明書を作成するため同年五月二十二日協議の上、同年五月三十日委員会を開き委員石森久治郞を除く委員長及び委員の全員出席して同日附委員長幸野文〓名義の弁明書を作成しこれを宮城縣選挙管理委員会に提出したこと、

が認められる。証人石森久治郞の証言中右認定に反する部分及び此の点に関する原告本人訊問の結果は採用せず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実に徴すると前記決定書は委員長幸野文〓が委員会書記久〓武一に事実上その作成手続を依囑したものであつて結局幸野文〓が委員長たる資格において作成した文書に外ならないものといわなければならない。從つてこれをもつて阿部庄松その他の者が擅に僞造した文書ということはできないのである。

以上説明の通りであるから、大原村選挙管理委員会において昭和二十二年五月十一日には未だ吉野兵吉の異議申立に対する決定をするに至らず同日附同委員会委員長幸野文〓名義の決定書は阿部庄松が担に僞造したものであることを前提とする原告の本訴請求は爾餘の爭点について判断するまでもなく失当である。

次に、原告は、大原村選挙管理委員会が昭和二十二年五月十一日原告の当選を無效とする旨の決定をしたものであるとしても右決定は地方自治法第百八十九條第百九十條の規定に違背する当然無效なものである旨主張するけれども、右委員会の会議及び表決については前記認定の通りであつてその決定が同法條に違背する事実はこれを認めるに足りない。よつてこの点に関する原告の本訴請求も亦爾餘の爭点については判斷するまでもなく失當である。

よつて原告の本訴請求を棄却すべきものとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十五條第八十九條を適用して主文の通り判決する。

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